無題

訃報に触れて

4月11日(木)、栗東に所属する藤岡康太騎手が亡くなったことが発表された。35歳だった。同騎手は6日(土)の阪神競馬7Rで落馬負傷後、病院へ搬送。意識のない状態が続いていた。

藤岡康太騎手は2007年に宮徹厩舎の所属でデビュー。3月3日の中京競馬場1Rで父・藤岡健一師の管理するヤマニンプロローグで初騎乗・初勝利を挙げるなど、鮮烈なスタートであった。また、09年ファルコンSのジョーカプチーノでは重賞初勝利。同馬とともに挑んだNHKマイルCでは10番人気にの評価を覆し、好位の二番手から押し切って瞬く間にG1ジョッキーの仲間入りを果たした。

その後はけがに泣いたこともあり長らくG1と縁がなかったが、昨秋に転機が訪れる。G1・マイルCSで鞍上を予定されていたR.ムーア騎手のアクシデントを受け、急遽ナミュールのジョッキーに抜擢されたのだ。結果は多くの競馬ファンがご存知の通り。テン乗り、大外枠という不安要素を跳ねのけて鮮やかに末脚一閃。見事に同馬を優勝に導いたのである。

折り合いの巧いジョッキーだった。思い返せば、18年・神戸新聞杯のワグネリアンも福永騎手の代打、そして21年・京都大賞典では不振のさなかにいたマカヒキを復活に導いた。強調すべきは、両頭ともにダービー馬だったという点だろう。3歳の頂点に立つような驚異的なポテンシャルの陰には、得てして危うさが同居するもの。それがサラブレッドという生き物であり、普段から乗り慣れた騎手でさえ手こずることは珍しくない。しかし藤岡康太騎手は、ワグネリアンをテン乗り、マカヒキも2度目の騎乗で結果を残した。

前記のナミュールしかり、それがどれほど難しいことか。成績が振るわなかったなかでも努力を惜しまず、自らの騎乗馬以外の追い切りも買って出ていた藤岡康太騎手。そうした積み重ねが大舞台での感動的な勝利をもたらし、ファンもその腕を買っていたのではないか。同騎手は昨年に63勝のキャリアハイを記録。つい先日もJRA通算800勝を達成し、今年すでに28勝と自身の年間最多記録を塗り替えようとしていた。

明るい性格で礼節を欠かさず、ファンサービスも熱心に行っていた愛すべきジョッキー。そんな藤岡康太騎手の訃報に触れて言葉が出ない。心よりご冥福をお祈りするとともに、才気あふれる若武者がいたことを胸に競馬を見続けていきたい。

会員様へ
今週の当欄は特別編成でお送りいたしました。ご了承ください。